盛者必衰のことわり
祖母が亡くなった。
あまり関わりがなかった。
でも関わりをなくしていたのは自分だった。電話番号は知っていたのにかけなかったし、住所も知っていたから行けたのに行かなかった。
おばあちゃんは最後の方はずっと病院に入っていたと言うことだった。精神的にも安定してなかったらしい。
脳卒中で一時は危なかったが持ち返し、大晴で大雨の日に亡くなった知らせを聞いた。
亡くなったのは、私が呑気に池でボート漕いでた昨日。東京はとてもよく晴れていた。
人が死ぬと言うことは、もうその人に会えないと言うことだと思う。
死んだ人からしたらもう何もないと思いたい。
死んだ後も何か続くなんて、ちょっと切ない。
私のおばあちゃんの思い出。
一人で飛行機に乗って、おばあちゃんちに言ったことがある気がする。でもたった一回だった。
涼しい夏の気配を感じながら従兄弟と遊んだ。
おばあちゃんちには畑があって、きゅうりとかトマトとかがなってて、食卓にはそれがいつも出てた。
実家ではお母さんがおばあちゃんのお味噌を好んで使っていた。私は大豆が大きめに残るその味噌があまり好きではなかった。でももう食べられないのか。
子供の日や誕生日には図書カードを送ってもらっていたのに、ハイエナみたいに獲物だけとって何も返さなかった。
勤労感謝とか、新年とかも全く連絡しなかった。おばあちゃんの誕生日も知らない。実家も年齢も分からない。
私がいえた口じゃないけど、幸せな一生であって欲しい。
それにつけても、電話した時の母は気丈だった。
声は震えながらも、お母さん頑張ったねって言っていた。娘ながら看取ることはできないと諦めていたみたいだけど、いかほどの胸の痛みだろう。
女にとって母親が死ぬと言うことは自分の中の核がなくなるようなのではないかと思う。
お母さん、あなたはいい人間だと思うよ。
だから、そのあなたを育てたおばあちゃんもとてもいい人間なのだと思うよ。
一緒に行ってあげたいが、今のご時世難しいのかな。
やっぱり一緒に行けるか、電話して聞いてみようと思う。
あのお母さんを一人で飛行機に乗せたくない私のわがまま。