老人と池
親と会うたびに親の老化を感じて切なくなる。
東京駅で待ち合わせた。
1年半ぶりくらいに姿を見た。
やはり、歳をとっていた。
ハリのあった肌はたるみ、髪は白く少なくなり、ボリュームも減っていた。
そして、いつにも増して背が縮んでいた気がいた。こんなに小さい母であっただろうか。
思春期であれば考えられないけど、会った瞬間ハグをした。
実の親が亡くなって1週間もたたないのに、子を心配する母への申し訳なさに少し涙も出た。
母はずっと笑顔だった。
会えて嬉しいというと、声が少し掠れた。
きてくれてありがとう、ごめんねと泣いて縋りたかった。
電車で移動するにも、私は意識的に手を繋いだ。
少しでも母に触れていたかった。
それほどに母は、私の味方であった。
母のことを恨んでいた時期があった。ああはなりたくないと反面教師ととらえていた時期もあった。
でも今思い出すのは、母の優しさだけだった。
子を産んだだけで、その子の人生に責任を持ち関心を持ち続けることがどれほど難しいか。私には想像ができない。
私はとんでもなく恵まれた人生を歩んでいる。
電車で石神井公園に行く。
電車ではたわいもない話をした。母は既に言葉が出なくなり始めているので、それを何度か正した。また運がいいなどの言葉をうんこがいいなど、くだらない言葉に言い変え笑いを誘った。最近暑いが、まだエアコンをつけてないことを自慢していた。
ほんとは祖母の話や、私の話、姉の話など話すことはたくさんあったのにお互い重要な話は避けているようだった。時折無言になると母の目尻の皺を見つめた。母は電車の電光掲示板を眺めていた。田無などの駅を見て、駅名をつぶやいていた。鶯谷。
そして昔の旅行や最近のちょっとしたことを話した。母はいつも大笑いをしてくれるので、一緒にいると楽しい。
ドイツ旅行には3人でいった唯一の旅行かな。
また行きたい。どうしても行きたい。
母が行きたいと言っていたので、石神井公園をとにかく歩いた。とにかく池の周りを歩いた。
池の周りは暑く、母の足と体調が心配だった。
母曰く、思ったとのと違ったそう。
近くに東京ラブストーリーの漫画著者が住んでいるということで、何度かふみちゃーーんと叫んだ。母は笑っていた。
長く歩き、ベンチに座り母のお弁当を食べた。
母はあまり料理が得意ではないが、学生時代欠かさず作ってくれていた。
最後に食べたのは、私が手術のために入院した時の焼きそばとソーセージだった。
お弁当箱を開けても涙が出そうだった。
下に見える緑のハンカチは私が学生時代から現役で使っていた。
前日作った、ヨーグルトにもつけてカレー味噌を使ったタンドリーチキンと、しょっぱめの卵焼き、アスパラベーコン、筑前煮、ほうれん草の胡麻和え、私のリクエスト豚肉のしそまき。
おにぎりはしゃけとこんぶ、おまけで梅まで。
梅は今まで出なかったけど、美味しかった。
母のおにぎりは、塩がよくきいていた記憶があったが私が家を出てからは減塩家になったようだ。おいしかった。
朝6時に起きて、お弁当を作って眠たいと言っていた。
ありがとうね。
食べながら、美味しいねって言って
祖母の葬儀の話をした。
電話でも聞いたけど、おくりびとのように見送ってもらったことで祖父が1万を包み、大層喜んだこと、叔父が祖母の生着替えになるかもしれないと怯えたこと。母は祖母をしっかり心構えし、しっかり見送ってきたようだ。
手を撫でると、ハリのない肉が揺れた。
そして母も私を撫で返した。
それだけでも涙が出そうだった。
食べ終わると、私がビニール袋にゴミを入れてまとめると、えらいね持ってきててと褒められた。
私は前日、ビニール袋がカバンに入っていることを確認していた。
母に褒められたかった。
コンビニ箸や、スプーン、フォークまで持っていった。前日の夜から準備した。
私はとても楽しみにしていた。
母がSuicaを持っていない可能性も危惧して、別のICカードもカバンに入れ、母がなるべく快適に過ごせるように心がけた。
道順も調べたし、どこにいこうなど観光ルートも考えた。
とても楽しみにしていた。
そして叔父の葬儀の時のコメントを見せてもらった。
涙が出た。
人柄にも恵まれ、祖母のいいところは母にも確実に遺伝している。
そして祖母が英会話教室に通っていたことを初めて知った。
英語で日記を書くなどしていたそう。
日記と、祖母の希望の着物を棺に入れて焼いたらしい。
むこうでも勉強できるように、日記を焼いた。
私はきっと焼けない。母の思いを私のそばに残すことで、自分を慰めるだろう。でも、母と叔父は焼いたのだ。
祖母を思う気持ちにも、いろんな形があるのだなと思った。
日記には、叔父が受験の結果発表に緊張していることなどが英語で書いてあったそうだ。
私はというと、今休職していることをやっと伝えた。
それで会いにきてくれたの、というとそうかなぁって思ってと返した。
大学時代にも同じことがあったので、おんなじようなもんだよと言って笑った。
深キョンと同じ病気と言ったら、まさこさまと?と。母はまさこさま派らしい。
手を握って、大丈夫と言ってくれた。
昔も同じように大丈夫って繰り返して言ってくれたけど、何を無責任なと思ったが、大丈夫と言われるだけで救われる何かがあった。
ちなみに公園は井の頭公園に行きたかったようだ。少し落ち込んでいた。
その後、晩御飯としてうちにも作ってくれたので、一度家に帰った。歩いて汗をかいて、我々は疲労困憊していた。母はしきりにこの辺りは住みやすそうなところだねって言ってた。
うちの階段に母はかなり絶望を抱いたようだ。
でも頑張って登って、彼氏にも挨拶してプロジェクターも自慢して、扇風機で涼んだ。冷たい紅茶も飲み、まるで実家にいるような気持ちだった。
部屋は日当たりがよく、そこをとても褒めてくれた。
そして東京駅に向かう。
また会話がなくなり、母は電光掲示板を見つめていた。行きと帰りで違う路線に乗ったので、母は次回来る時に来れるかを心配していた。
井の頭公園には行ってないので、一生つけないよというと笑って、またあんたに東京駅に迎えにきてもらうよと言った。何度でも迎えに行くよと思った。
そして東京駅で、おいなりさんやマイセンや鯖寿司買ったり、夕飯が楽になるだろうと気にかけてくれた。
最後まで私を気遣ってくれていた。
新幹線ホームまで見送り。
あと5分くらいで電車が出るという時に、ついたのだ。
見送りはいいと言われたが、中まで入った。
でも、新幹線の座席に座れなかった。
座ったら泣いてしまいそうだった。
また、たわいもない話をした。
また来るよとか、元気でねとか。前日カフェで手紙を書いたので、父母に向けて簡単に書いたことを伝えて、カバンに入れた。
外に出てからは声はなかったが、まさこさまの手の振り方や、変顔でコミュニケーションを取った。
新幹線がでて、ありがとうというと母はまた来るよって口パクで言った。
遠くなる新幹線を見て、涙が出た。
今回したことといえば、池の周りを歩き、ご飯を食べて駅を移動しただけだった。
でもとても嬉しかった。
帰った後はとても悲しかった。
寝る時になると、母に気を遣わせたことの嫌悪感で涙が止まらなかった。
彼氏に後ろから抱きしめてほしいというも、寂しさは埋まらなかった。
感動CMを見ながら寝られなかった。
ソファで朝を迎え、私は嬉しさと悲しさを抱えたまままた二度寝についた。